文章番号:30098

薬物乱用の歴史と取締り

文章番号:30097

覚せい剤乱用の歴史

覚せい剤乱用の歴史は、第二次世界大戦後から始まりました。今までの大流行をそれぞれ、第一次覚せい剤乱用期、第二次覚せい剤乱用期と呼び、現在は第三次覚せい剤乱用期にあるといわれています。

第一次覚せい剤乱用期

第一次乱用期

戦後の混乱期、昭和20年後半から30年代初めごろで、ヒロポンと呼ばれる覚せい剤が乱用されました。旧日本軍からの流出と国内の製造によって、ヒロポンが大量に市民に出回ったのです。昭和26年に「覚せい剤取締法」が施行されましたが、その後も検挙者は増え、昭和29年には約5万6,000人という史上最悪の検挙者数を記録しました。そしてその年に「鏡子ちゃん事件」という悲劇が起こりました。この事件は、覚せい剤乱用者による殺人事件です。この事件をきっかけに、覚せい剤取締法の改正が行われ、罰則がさらに厳しくなったのです。また、昭和29年に当時の精神衛生法の改正によって覚せい剤依存者をその状態によっては措置入院させることができるようになりました。措置入院とは本人の同意なしに強制入院させることです。このように、覚せい剤を乱用している人や所持している人は『覚せい剤取締法』で処罰し、依存者には、『精神衛生法』によって、治療を強制するという二段構成で取り締まった結果により、昭和31年には検挙者数は激減しました。このように、第一次覚せい剤乱用期は、官民一体の覚せい剤乱用防止啓発活動も加り、薬物に対する厳しい姿勢によって薬物を社会から遠ざけることができました。

第二次覚せい剤乱用期

第二次乱用期

その後、密売ルートの組織化や犯罪組織の介入により、昭和59年ごろに、再び乱用者が増え、検挙者が約2万5,000人になってしまいました。昭和56年に起こった「深川通り魔事件」という、薬物乱用者による殺人、立てこもり事件などをきっかけに、政府をあげて、取締りや、広報活動の強化といった対策が立てられました。その結果、社会全体が薬物乱用の危険性に気づき、薬物乱用に対する厳しい雰囲気になりました。

第三次覚せい剤乱用期

第三次乱用期

最近また乱用者が増え始め、現在は、第三次覚せい剤乱用期と言われています。特徴は低年齢化で、中高生の乱用者が急増しています。平成9年の検挙者数が最も多くなっており、少年の検挙者数は全体の7~8%に達しました。昭和40年代は、1%前後だったので、このころと比べると少年の割合が大きく増加していることがわかります。少年の乱用者が増加した原因として、(1)販売対象の低年齢化 (2)乱用方法の変化 (3)誤った情報の氾濫(はんらん) (4)ファッション感覚…(例)呼び方が、『ヒロポン』『シャブ』などから、『エス』・『スピード』・『アイス』などと変わった。などが挙げられます。

参考資料

薬物乱用流行の三つの要因

薬物乱用の流行の要因は三つあります。

が挙げられます。

第一次覚せい剤乱用期では、これらの要因に対する対策が整備され、効果が現れましたが、それ以降の乱用期では、うまくはいきませんでした。薬物の供給が豊富になったこともありますが、それ以外に現代社会の持つ病理性という大きな背景が、薬物乱用にも深く関係していると言われています。

現代社会の持つ病理性